現金輸送    P2V-7機長


 自衛隊員とはおおむね農家の次男三男にして、食うに職無く、住むに家無く、仕方なく自衛隊に入る。と言われた時代からはほんの少し遅れて、われわれのクラスは戦後の復興が一息つき、職業は割合広い範囲から自由に選ぶことのできた昭和41年に自分の意思で自衛隊に入った。つまり高卒者は「金の卵」とまで呼ばれた時代に自ら選抜試験を受けて入隊した。

 とはいえ、世の中はいまだ貧しく入隊場所の横須賀教育隊に集まった同期は、袖口の擦り切れた学生服に一本の歯ブラシと先日まで家族全員で使っていた歯磨きだけを大事に持ち、金は殆んど無かったが青雲の志だけは大きかった。初任給は1万4千円台で税金やら社会保険料を引かれると1万円を切った。

 

 しかし、胸の内は純真で邪心は無く、「自分のために汗を流し、友のために涙を流し、国のために血を流そう!」という一源三流の精神に燃えていた。

 その同期もいよいよ定年を迎える。自衛官の定年は階級によって若干の差はあるが、平均的には55歳で、働き盛りである。にもかかわらず年金は一般公務員と同じ65歳にならないと出ないからそれまでは再就職が必至である。国家公務員は定年で辞めても失業保険は出ない。国民年金と健康保険と介護保険の掛け金は自分で払わなければならないから無職ではいられない。昨今、世の不景気で再就職もままならない。

 

 定年とはいえ、心は若く体力も気力も若い者には負けない積りでいるし、正義感は強いから警備会社の幹部などには打ってつけだが求人は殆んどない。何年か前に退職した人たちの中には警備会社で現金輸送に従事している先輩もいる。一度にいくら運ぶんですか?と聞いても教えてくれない。もしかしたら、運んでいる本人たちもケースの中にいくら入っているかは教えられていないし、知らない方が良いというのが実態だろう。現金輸送車が襲われた事件の報道を見る限り多くても数千万止まりのようだ。

 

 暗い話題になったから、今回は、もう少し景気の良い現金輸送の話をしてデフレ・スパイラルとやらを吹っ飛ばそう!

 

 戦後の日本は、連合軍の占領から始まったが、講和条約が発効し昭和28年に奄美大島が本土に復帰した。次いで、前稿で触れたように昭和43年に小笠原諸島が復帰した。

 最後まで残った沖縄県が本土に復帰したのは、昭和47年5月15日である。それまでは米国内と同じ社会体制が敷かれていたから、車は右側通行だし、通貨はドルである。

 日本に復帰するとなるとそれらの社会体制を本土と同じに戻さなくてはならない。一度に変えると混乱するから、交通規則は後回しになったが、通貨は復帰と同時に切り替える必要がある。

 

 沖縄県民百万人弱、通貨が何万ドル流通しているのか我々には知る由もなかったが、とにかく大量の現金を沖縄まで運ばなくてはならない。

 その輸送任務が海上自衛隊に命ぜられた。復帰の18日前の4月27日早朝、日銀本店からパトカーや白バイで物々しく警備された日通のコンテナ車が列をなして港に向かった。厳重に梱包された現金、実に540億円、通貨であるから1万円札ばかりと言う訳にはいかない。1円玉まで合わせれば相当の量である。輸送の事案そのものは大々的にマスコミ報道されたから、政府は秘密裏にことを運んだと言う事でもなかったと思う。

 埠頭では待ち受けていた2隻の輸送艦(しれとこ型LST)にコンテナが積み込まれ沖縄に向けて出航した。

 

 東京湾を出ると輸送艦の前程には、なみクラスの護衛艦3隻が傘型に占位した。そして上空の直衛は我がP2Vの出番である。昼も夜も常時1機、輸送部隊が下総の担当海域から鹿屋の担当海域に入るまで直衛した。

 実施する事項は、航路の安全確認である。輸送部隊の進行方向の航行船舶を水上レーダーでは映らない遠距離でチェックして護衛部隊指揮官に通報する。部隊は早め早めに安全針路に変針する。

もともと一般船舶の航路帯よりもかなり南側を航行する計画を立てていたから行き交う船はほとんど無く、「目標なし。」の通報のみを繰り返しながら南下した。

 当時は現在のように国際テロリストとか海賊とかはそれほど身近な存在ではなかったので、現金輸送部隊を直接護衛していても余り切迫感も危機感もなく、「この現金を奪えるのは誰もいないだろう!・・それより、もう少し早く走れないのかなあ・・?」などと5月の連休を前にして不遜なことを考えていた。

 

 数日後、部隊は無事沖縄に着き、帰路は円と交換されたドルを持ち帰って来た。当時の交換レートは1ドル360円の固定相場であったが、帰路に輸送した米通貨は1億ドルと聞いて日米両国の経済力の違いを実感した。

 

 沖縄復帰当時の540億という額が今のいくらに相当するのか正確には分からないが、単純に自衛隊の初任給だけで比較すると約十倍だから5千4百億というところか?・・・いずれにしても歯ブラシは擦り切れ、歯磨きチューブも絞り尽くした第17期航空学生には今も昔も縁の無い金額ではある。