人 工 降 雨      P-2J機長

 

 本来、自然界の摂理で営まれている流れを、人間の力で同じ仕事をさせようとして無理に作ったものを人工と言う。人工衛星がその代表であるし、人工心臓、人工透析、人工授精などで新しい世界を開いてきた医学会では、今やバイオ技術によるクローン人間まで生まれて来そうな情勢である。

 

 自然界の人工的なコントロールもここまで来たかという感じだが、生物学的な研究と実験は大学の研究室で実施できても、ままならないものが自然科学の世界である。

 たとえば気象のコントロールなどというものは、古代からの人類の夢でありながら未だに実現していない。自然は程よいのが一番望ましいから、雨が降り過ぎれば洪水が起こるし、雨が少なすぎると干ばつが発生する。いずれも天の摂理でしか動かない自然の移ろいを大胆にも飛行機の力で動かそうとしたのが今回の話である。

 

 日本列島を一ヵ月半に亘ってうっとうしい気分にさせた梅雨も、小笠原気団の勢力が増してオホーツク気団を北に押し上げれば梅雨明け、それから後はジリジリと太陽が照りつける真夏となる。色々な農作物にとっては秋の稔りのために最も雨が欲しい時期、日照りが続けば、台風でも良いから雨をもたらして欲しいと願うようになる。

 

 特に、南の島々では干ばつが一番恐い。最近ではトカラ列島や琉球列島でも海水を真水に変える造水装置で人々の生活に必要な最低限の真水は確保できる様になりつつあるが、造水のコストは莫大で、農業用水までは予算が回らない。しかし、干ばつで島の産業であるサトウキビが枯れるとなれば農家にとっては死活問題である。

 

 そこで、何でもやってくれる自衛隊に協力を求めることになる。人工降雨である。

冬のスキー場の人工降雪なら自然条件が整っているから、水の中に凝結の核となるヨウ化銀でも少量入れて気温がマイナスになったときに勢い良く空中に散布してやれば雪が降るが、真夏の降雨となるとそうは行かない。まず空気中に水滴が無くては雨は降らない。降りそうで降らないときに雲の中に漂っている水の分子を大きく成長させて落下させるきっかけを作ってやれば雨が降るのではないか?という学者の発想から雲の中に水を撒くことが考案され、アメリカの穀倉地帯あたりで始められたのが発祥である。

 

日本では、P2V-7の時代に始まった。哨戒機の胴体下部には爆弾や魚雷、機雷を搭載するために大きな爆弾倉が設けられている。そこには長時間飛行の場合には爆弾の代わりに燃料タンクを積んで燃料を少しでも多く搭載できるように工夫が凝らされている。人工降雨の場合にはそのタンクに水を積み、雲の中に散水する訳である。

P2V-7とP-2Jは、そのあたりの構造は全く同じである。どちらの機種でも350ガロンのタンクを2個搭載できるようになっていた。つまり合計700ガロン(2,650リットル)の水を積み込むことができる。

 

人工降雨の任務は県知事からの要請による「災害派遣」として実施される。干ばつは天災であるから理屈は通っている。あとは派遣期間の問題があるが、雨が降りそうで降らない都度要請していたのではタイミングを失するから、1ヶ月とか6週間とか医者の処方箋のような包括した要請がなされる。要請された方は大変である。いつ出て来るか分からない雨雲を待って待機しなければならない。

 

海難や地震など他の災害はいつでも別の場所で起こるから、人工降雨だけに備えて常に水を積んで置く訳にもいかない。そこで干ばつに見まわれている南の島の役場と直接連絡できる体制を整えて効率的に待機を継続する。雨雲が有るか無いか?今、島の周囲にあっても飛行機が鹿屋から飛び上がって現地に到着する時間に果たして島の真上に雲が残っているかどうか?現地の職員も判断に窮する。鹿児島県の南端の与論島までは発進命令が下されてから1時間半は優にかかるから判断は更に難しい。

 

それでも、ひと夏に十回程度は条件が整う時がある。人工降雨が要請されている期間は、応急出動機の側まで消火栓のホースを延ばし、いつでも給水できる体制を整えているが、発進が下令されてから2.65トンの水を積み込むのに7分はかかる。列線員が水を搭載し、搭乗員が飛行準備を整えてP-2Jの場合30分ぐらいで離陸する。通常よりも2.6トンも重いと離陸滑走距離も長い。2基のターボ・プロップと2基のターボ・ジェットをフルパワーにしてウンウン唸りながら地面を離れる。安全な高度に達するとすぐに目的地の与論島に向ける。

 

 鹿屋から与論島まで直線距離で290マイル、P-2Jの速度では上昇降下を考慮すれば片道80分、しばし静寂が訪れる。その間に搭乗員は人工降雨の手順を復習する。まず与論島の風上側に雨の降りそうな積雲系の雲を見付ける。良い雲があれば、風下側から近づいて雲の2/3の高さに突っ込む。同時に真水タンクのバルブを開き、放水を開始する。雲から出るまで放水を続け、それをタンクが空になるまで繰り返す。

 

 やがて前方に与論島が見えてくる。なるほど、山の無い平坦な島だ。山があれば上昇気流が発生するから、まだ雨が降る。上昇気流も下降気流も発生しない場所だと、よそから流れて来る雲を待つしかない。鹿屋を離陸する前に役場の職員が知らせてくれた雨雲は、はるか東の海上に見えるあれか?今の所、適当な雨雲が無い。無ければ待つ。ひたすら待つ。    可能性がある限り任務を中断するわけにはいかない。待った甲斐あって、西側の伊平屋島の方向からかなりまとまった積雲が近付いて来る。やがてその先端が島の海岸に掛かろうとするころ、P-2Jは果敢に積雲に突っ込む。

 

 普段なら避けて通りたい積雲であるから突っ込んだとたんにジェット・コースター、上下・左右に激しく揺すぶられる。それでも乗っているのはプロ、一歩もたじろがない。「放水用意!」「・・放水用意良し!」・・「放水始め!」武器員がガラガラとハンドルを回す。20センチほど開いた爆弾倉の隙間から勢い良く水が噴き出す。雲に入る前に周囲を回ってその奥行きを確認してあるから、いつ雲から出るのから分かっている。その数分じっと乱気流に耐える。ポイッと放り出される感じで雲から出る。「放水止め!」「了解!バルブ閉めました。」

 ホッとしてGメーターを確認する。大丈夫だ。制限荷重は超えていない。大きく回り込みながら高度を下げて今度は雲の下を飛ぶ。先ほどの放水の効果を確かめるためだ。残念!まだ雨は降っていない。

 

 「よし!もう1回行くぞ。水の残りは?」「はい。2/3以上残ってます。」急がないと雲が島の上空から外れてしまう。海の上に雨を降らせても仕方がないから急いで突っ込む。出る。今度は効果を確かめている時間的な余裕はない。雲から出たとたんに急旋回して三度目を突っ込む。

 「機長!水が無くなりました。」「了解!オール・クリュー任務を終了する。機内外点検!」・・・。

「ノーズ異常なし。」「フライト・デッキ異常なし。」「アフターステーション異常なし。」最後にFEから「エンジン計器異常なし。残燃料△▽ポンド。」「ご苦労さん、タバコよろしい。」

 

今度はゆっくりと効果を確かめる。雲の下を飛んでみるが、風防ガラスに当たるような水滴はない。そのうち雲塊は海上に出て、島には元の太陽が照りつける。与論空港に島の上空を離れる旨を伝えて北に向ける。空港の管制官からは「ご苦労様でした、気をつけてお帰り下さい。」とねぎらいの言葉をもらったが、何か今ひとつ達成感がない。

 

自衛隊の行動する意義は使命の達成にある。幹部候補生学校では「使命とは任務プラス目的である。」としつこく教えられた。今回の行動目標を分析すれば、使命は「雲の中に放水すること(任務)・・・によって・・・与論島に雨を降らせる(目的)」ことである。

任務は果たしたが目的は達成出来なかったということになる。でもまあーいいか。与論島の人々は自衛隊の飛行機がわざわざ鹿屋から飛んできて島の上に水を撒いてくれた、ということは理解してくれる。それが水不足と戦うサトウキビ農家の人たちに少しでも力づけになれば良い。

 

そもそも自然の大摂理を、P-2J/1機の力によって変えてしまおうということが不遜な考えなのか? しかし、困っている人がいる以上何もしない訳にはゆかない。鹿屋に帰れば再び黙々と待機を続ける搭乗員たちなのである。